わたしがヤハウェ、他に神はいない。

山我哲雄著『一神教の起源 旧約聖書の「神」はどこから来たのか』(筑摩書房)の類型

 

<一神教の諸相

一神教においては、以下の下位類型が区分されよう。

(1)拝一神教monolatry)必ずしも他の神々の存在自体は否定せず、むしろその存在を前提にするが、特定の一神だけを排他的な崇拝対象とし、他の神々を崇拝しない宗教のあり方。この傾向は、一部の部族宗教やヒンドゥー教の一部にも見られるが、われわれに最も身近なのは、仏教の浄土教(わが国では浄土宗と浄土真宗)である。仏教を宗教学的に扱う際には、「仏」が「神」であるかどうかということが常に問題になるが、ここでは、信仰の対象であり、通常の人間を超えた力を持つと信じられ、信者がその力による救いを期待する人格的な存在であるという意味で、広い意味での神的存在と見なしておく。先にも述べたように、大乗仏教は一般的に、大日如来を中心に数々の仏や菩薩を描いた真言宗の曼荼羅に象徴されるように、多神教的性格を持つ。しかし、浄土教では、釈迦如来など他の仏の存在を否定するわけではないが、救いを求めて念仏するのは、あくまで阿弥陀仏に対してだけなのである(「南無阿弥陀仏」)。この意味で、浄土教は「拝一仏教的」だと言える。また、見方によれば、善の神アフラ・マズダーと悪の神アンラ・マンユ(別名アフリマン)の実在を前提にしながらも、アフラ・マズダーのみを信仰し悪を退けるように説くゾロアスター教も、拝一神教の一つと見ることができる。なお、「モノラトリー」という英語の術語は、ギリシア語「一つ」を意味する「モノ」(「モノレール」の「モノ」)と、「礼拝」を意味する「ラトレイア」に由来する

 

(2)単一神教henotheism)内容に即して、単神崇拝とも言う。これは宗教学の創設者の一人であるドイツのマックス・ミュラー(『宗教の起源と発展』一八七八年)が、インドの神々の讃歌『ヴェーダ』における宗教的特色として指摘したもので、複数の神々の存在を前提とするが、歌で讃美される際に、まるでその神が他に代わるもののない唯一の神であるかのように讃えられ、祈られるという現象を言う。もちろん、別の讃歌では、別の神が同じような唯一無二の存在として呼びかけられる。拝一神教が永続的な一神崇拝であるのに対して、単神崇拝は一時的な一神崇拝であり、機会が変われば崇拝の対象となる神も替わるので、「交替神教(kathenotheism)」とも呼ばれる。これは、一神教というよりもむしろ多神教の一現象形態と見なすべきものである。あまり上品な例ではないが、分かりやすく言えば、ドン・ファンがさまざまな女性を口説くたびに、「僕には君しかいない」と言うようなものである。同様の現象は、メソポタミアやエジプトにも見られる。なお、「ヘノセイスム」という英語の用語は、ギリシア語でやはり「一つ」を意味する「ヘン」と、「神」を意味する「セオス」に由来する。文献によっては、これと「拝一神教」が混同・混用されることも少なくない

 

(3)包括的一神教(inclusive monotheism)

多神教的伝統の中に時折見られる現象で、祭司や神学者など宗教専門家や知的階層の人物によって表明されることが多い。伝統的なさまざまな神々が、実は唯一なる神の化身、ないし別の姿であるとするもので、特定の一神が他の神格を同化吸収していく現象と見ることもできる。例えば、メソポタミアの宗教は典型的な多神教であったが、ある神々の名の一覧表は、さまざまな分野をつかさどる神々をバビロンの主神マルドゥクの分身のように見なしており、バビロニアにも包括的一神教に向かう方向性があったことを示している。同様の現象はエジプトにも見られた。(中略)ヒンドゥー教のヴィシュヌ派には、ラーマ、クリシュナ、仏陀などの十の神格をヴィシュヌの「アヴァターラ(化身/権化)」とする見方があり、同じような傾向を示すものと見ることができる。もちろん、ヴィシュヌ派はラクシュミーなどヴィシュヌの神妃を併せて崇拝するし、十のアヴァターラ以外のヒンドゥー教の神々の独立した存在を認めるので、本来的な意味での一神教には遠い。しかし、ヒンドゥー教の伝統的な神々を宇宙の根本原理であるブラフマンの異名と解し、カースト制や偶像崇拝を否定したインド近代のブラーフマ・サマージの運動などは、かなり一神教的性格が強い。

 

(4)排他的一神教(exclusive monotheism)

狭義の一神教で、端的に「モノセイスム」(monotheism)」(ギリシア語の「モノ(一)」+「セオス(神)」に由来)と言えば通常はこれを指す。「拝一神教」と区別するために「唯一神教」とも訳す。ある特定の一神を唯一絶対の神と見なし、他の神々の存在そのものを原理的に否定する信仰で、現在のユダヤ教、キリスト教、イスラム教はいずれもこれに属する。その基本的主張は、イスラム教の「信仰告白(シャハーダ)」の最初の文章、「アッラーの他に神はなし(ラ・イラーハ・イッラッラー)」に典型的な形で示されている。本書で示されるように、古代イスラエルでは遅くともバビロン捕囚期(前六世紀)にはこの考え方が確立していた。

わたしは初めであり、終わりである。

わたしをおいて神はない。(イザ四四6、年代については本書八章を参照)

本書が明らかにしようとする課題の一つは、それ以前はどうであったのか、このような唯一神の観念が最初に現れたのはいつであるのか、そしてその背景は何であったのかということである。

 

(5)哲学的唯一神思想(philosophical monotheism)

文字通り哲学者によって説かれるもので、宇宙の原理として唯一の絶対的存在を想定し、しばしばそれに「神」に当たる名を与える。ギリシアのエレア学派(クセノバネス、パルメニデス等)、ヘレニズム時代の新プラトン学派(プロティノス、プロクロス等)、インドのウパニシャッド哲学などがこれに当たる。この「一者」はしばしば唯一の実在と見なされ、他のものはすべてその可視的なあらわれと見なされるので、しばしば汎神論(pantheism)に接近する。この「一者」は瞑想の対象とはなるが、通常は礼拝行動や祭儀は行われないので、「宗教」のうちに含めて論ずることは適切ではないかもしれない。念のために付け加えておくが、先に挙げた類型はあくまで便宜的・理念型的なものであり、個々の具体的な宗教現象を扱う場合には、一神教と多神教の峻別が微妙になることも少なくない。一神教と多神教の関係を考える際には、イスラム教信仰を研究対象とする宗教学者である鎌田繁氏

(現日本オリエント学会会長)が発した次のような警鐘に耳を傾ける必要性が大である。

 

一神教の典型とされるキリスト教やイスラームにあっても、前者の三位一体説、後者の神名論(属性論)は神を複数的視角で捉えており、神学的立場を離れれば多神教的な面をもつといえ、また逆に多くの仏、菩薩を数える多神教的ブッダ観をもつ仏教でも、これらを法身仏の多様な顕現であると見る立場からは一神教的な面があるといえる。神の働きを助け、仲介者となる天使などの精神的存在は一神教と多神教の相違を現実的にさらに縮めており、この両概念は理念型としてのみ有意味であるといえよう。(『岩波哲学思想事典』「一神教/多神教」の項より)>(p29~34)                                                    イザヤ書45章は第二イザヤ(40~55章)の「唯一神教の宣言」が特徴となっており、「わたしがヤハウェ・・・他に神はいない。」という主旨の文言が、5節、6節、(14節、)18節、21節、22節と繰り返され、しかも唯一神教と同時に創造主としての絶対性が超倫理性(7節)や論争や要求の不可能性(9~13節)や不可知性(15節)などが示され、その意味でイザヤ書45章は聖書的神観の中核を成すと言っても過言ではないでしょう。

続く46章でも唯一神教宣言が見られます(9節)。そしてヤハウェは造りっぱなしではなく責任を担う人格的存在であることを示しています(4節)。

                                         

  

神名の由来

A:「ケニ人仮説」
<我々はモーセの神ヤハウェがケニ人の神ヤハウェと宗教史的に何らかの関係を持つことは之を否定する特別の根拠はないと考える。然しモーセの神が如何なる神であったかという問題に対してはこのケニ人説は多くを教えない。(中略)ヤハウェはモーセの時代に始めてイスラエルに知られた神であると見るのであるが、それは宗教史的なヤハウェの由来という観点から見た限りに於てであって、モーセ及びイスラエル人の信仰の意識に於ては出エジプト記の記す如くヤハウェはアブラハム、イサク、ヤコブ等の所謂族長の神の新たなる顕現であったのである。それだからこそモーセもイスラエルもこのヤハウェの神を問題なく受容することが出来たのであると思われる。勿論我々はここに族長の宗教とヤハウェの宗教との兩宗教混合を見るべきではなく、族長の神とヤハウェとは歴史的時間的に先後の関係に立つと考うべきであろう。>(関根正雄著『イスラエル宗教文化史』〔岩波書店/岩波全書セレクション〕p45 ※「ヤハウェ」の「ハ」は小文字表記)
YHWHの起源がミデアンだったのかエジプトだったのかといった問題はおよそ信仰には関係ない。何故なら、YHWH信仰は現在、自分に働きかける活力の実感にもとづくのであり、歴史的根拠を必要とはしないからだ。旧約聖書の歴史物語もYHWHと人との関係を学ぶための媒体にすぎない。問題は自分に与えられている霊・魂の働きである。そこに理屈抜きの信仰の根拠がある。たとえ否定してもしきれない内的要請、リアリティー。これが宗教的実存というものである。旧約聖書でYHWHに「私が仕える(,仕えている)」と訳される言葉は「彼の面前に私が立っている」(「アマドゥティ レヴァナヴ」/岩波委員会訳の註では「その前に立っている」とか「その前に立つ」と書かれている〔『歴史書』p425463他参照〕)であり、ルターやキルケゴールの「神の前に」(コラム・デオ)立つ単独者的実存を想起させる。

B:出エジプト記3:14「エフイェ」との関連

有賀鐵太郎氏の解説

<われわれはehyehという形が不完了形であることにも注意を向けなければならない。それはI am でもあり、I will be でもある。(中略)神がハーヤーする者と言われているとしても、それは神が一切のゲネシスを含まないト・オンであるということにはならない。却って、神が有るということは生成することでもあり生起することでもある。確かにそのような意味でなら「神が有る」と言えるであろう。つまりティリッヒが「生ける神」と呼ぶもの、それこそはヘブライ思想における究極者なのであって、ヘブライ語で物を考えている限り、その先に「有としての神」を想定することはできない。さらにまた、ehyehI am と訳されるけれども、わたしという主語 anokhi は用いられていない。いわば am だけである。従ってその神の名はAM THAT AM または AM WHO AM と解さるべきものである。ところで最後に残る問題は関係代名詞または接続詞asherの意味であるが、それは thatwhowhat などと訳しうる。もしも、それが I am what I am (わたしは、わたしの有るものである)と解しうるとすれば、その場合には最初の amehyeh) は繋辞となる。だがそれをそう取るよりも、むしろ asher の前の ehyeh も後の ehyeh も、ともに「わたしがある」 ― むしろ「わたしがいる」 ― の意に解した方が自然ではないかと思う。そうとすれば、その全体を「わたしはいる、そのわたしはいる」または「わたしはいる、それゆえ、わたしはいる」と訳しうる。これは「わたしがいる」ということを繰り返すことによって強めているのである。わたしは、どこまでもいる、ということである。ここに「いる」と訳したのは、その方が「ハーヤー」の意味に ― その意を尽くしたわけではないにしても ― 近いからである。神はハーヤーするものとして「いる」のである。しかも、そのハーヤーすることの中に神の「われ」は隠れている。神の「われ」が存在して、それが働くのではなく、その働きのうちにこそ神の「われ」は隠れつつ自らを啓示する。啓示しつつ自らを隠している。>(有賀鐵太郎著『キリスト教思想における存在論の問題』〔創文社〕p170172)※「不完了」というより普通は「未完了」といわれる。このehyeh(エフイェ)はhyh(ハーヤー)という動詞(その意味については下記参照)の1人称単数形だが、このehyehを3人称単数男性形にするとyihyehになりyhwhに似た形になるので、これを語源的由来とする見方がある。もう1つはhyhの使役態(ヒフイル)3人称単数男性形の未完了相yahyehが「ヤハウェ」と同じ母音になるので、これを語源的由来とする見方もある。しかし使役態にする必然的理由はなく、創造主である神は「あらしめるもの」だという教理的観念が先行している。

<従来キリスト教思想は一種のオントロギア(ギリシャ的思考法)であるとされ、そのことはほとんど疑われなかったのであるが、有賀はキリスト教思想を歴史的にたどると、その根底にはオントロギアとは異質のヘブライ的思考法が存在すると主張する。新約をも含む聖書の思考法は、基本的にヘブライ的である。有賀はこのような思考法をヘブライ語の「ハーヤー」とギリシャ語の「ロゴス」を合成してハヤトロギアと名付けた。動詞ハーヤーは、「有る」「存在する」の意味にもなるが、英語のbe動詞のような?辞としての用法は副次的なものである。ハーヤーでは、「ある」の意味と「なる」「起こる」「生起する」「出来する」のような動的な意味とを分離することはできない。有賀は出エジプト記三章一四節で神がモーセに語りかけたことば「エヒイエ・アシェル・エヒイエ」(新共同訳では「わたしはある。わたしはあるという者だ」)のエヒイエ(文法的には動詞ハーヤーの未完了形、一人称単数)を「わたしは現にここにいる」とか「わたしは、あなたとともに、ここにいる」の意味に解し、それが関係詞のアシェルで結合されて反復されるのは、そのことが絶対に強められているからだとする。彼はこのことばをさらに哲学的に捉え直して、すべてのものを「有らしめる者」であるヤハウェ神の主体的な働きが、「有らしめる者」と一人の人間モーセとの「われとなんじ」の人格的な関係を確立したことを意味すると解釈する。この際、神名ヤハウェの意味を「彼はハーヤーせしめる」であると考えて、動詞ハーヤーに使役的な意味を認める。またエヒイエ・アシェル・エヒイエという謎めいた言い回しには、このように語る神の自由や秘密性が暗示されているとも言う。ここで注意する必要があるのは、ヘブライ語のエヒイエにはヨーロッパ語のように「私」を意味する語が明示的に表現されていない点である。このことを有賀は以下のように解釈する。「主体が先ず存在して、それが働く、と考えられているのではなく、むしろ働くことのうちに主体が自らを啓示するのであって、主体・即・働き、働き・即・主体なのである」と(『存在論』一八九頁)。>(勝村弘也氏の論文「有賀鐵太郎の思想におけるヘブライ的思考とその影響」~「思想」2011年第一号 思想の言葉)

神を意味する「私」(「エフイェ」の「エ」)は独立人称代名詞ではなく動詞「ハーヤー」の未完了形に付く接頭辞で表わされている。そうした事情から、上記の有賀鐵太郎氏の言葉にあるとおり、<神はハーヤーするものとして「いる」のである。しかも、そのハーヤーすることの中に神の「われ」は隠れている。神の「われ」が存在して、それが働くのではなく、その働きのうちにこそ神の「われ」は隠れつつ自らを啓示する。啓示しつつ自らを隠している。>といった解釈も出てくるが、これは文法主義の度過ぎた解釈であろう。

 

並木浩一氏の説

 

<ヤハウェの起源を推測すれば、この神はシナイ半島周辺のミディアン人と呼ばれる遊牧的な人々の神であったでしょう。伝承によれば、モーセがエジプト人官僚を殺してしまったために逃げ、ミディアン人の祭司の娘と仲良くなり結婚したのです。モーセはミディアン人の、舅からヤハウェ宗教を学んだのです。その伝承がありますからヤハウェ宗教と言えども、具体的な起源はあるのです。(中略)モーセはそのミディアン人から教えられた神ヤハウェが、人間的な諸部族の権利を超えて連合させる神であるということを発見する。そういう力をモーセが歴史的な体験を通して教えられ、発見した。神学的に言えば、ヤハウェは創造の時からイスラエルの神であり、人類の神であり、イエス・キリストの父なる神、三位一体の神です。それが一気に誰かに啓示されるのではありません。聖書は人間の体験と認識を重んじます。そこで人間的な語り方ができるのです。その観点から言えば、ミディアン人の神であり、単なる一部族の守護神であったヤハウェは死んだのです。ヤハウェはイスラエルを創り出す神、諸部族を連合させる神ヤハウェに変貌したのです。ヤハウェは連合神ですから、諸部族は他部族の権利を犯すわけにはいきません。連合体の成員である兄弟たちの権利を踏みにじることはできません。そこで法の守護者、法の与え手の神として認識される道をたどり始める。ヤハウェ宗教はそういう経緯をたどっていくのです。それだけがヤハウェではありません。その後、預言者がヤハウェを歴史の神、イスラエルをも滅ぼすことのできる神であるということを認める。それが世界史を動かす神の発見です。歴史の神は自分たちのために都合の良いことをやってくれる神ではない。ご自分を隠すこともできる、これはすごい発見です。イスラエルよりも強力な国家まで動かして、イスラエルを攻めさせて、ご自分の民を処罰されることを考えるわけですから。イザヤ書に「アッシリアはわが憤りの鞭である」(イザヤ一〇5)という表現がでてきます。そういうふうに大国を用いる神なのです。そうなると神は歴史の神、それが本当の意味での世界史の神なのです。歴史の神ですが、神は歴史の表舞台には出てきません。歴史の背後にいますけれども歴史を大きく動かしていかれる神です。そういう認識ができると、昨日触れました摂理信仰が成り立ちます。>(講義録『創世記を読む』〔日本ナザレン教団出版部〕

 

 

山我哲雄氏の説

 

 ※山我哲雄著『一神教の起源 旧約聖書の「神」はどこから来たのか』(筑摩選 

 書)からの引用は、当サイトの「ヤハウェ、御霊」を参照。ここではほんのさわりの部分だけ。 

272頁以下で、「エハド」には数詞としての用法が一般的で、NRSVのような副詞的用法の例もあるが、著者ご自身は数詞としての用法とみておられる。そして、yhwh elohenu, yhwh echad の意味は「ヤハウェは我々の神、ヤハウェはひとり」であるということ。シェマーの祈りの「エハド」には時代状況として2つの意味が考えられ、1つは、申命記改革において地方聖所ごとに「・・・のヤハウェ」が分かれて存在していたのを、エルサレム中央聖所への集中により「エルサレムのヤハウェ」へと統一した(=「単一ヤハウェ主義」)という意味の「一」であり、もう1つは、北王国滅亡後の南ユダにおける国民と北からの移民との統合のシンボルとしての「一」であるとのこと。従って、申命記6:4の「エハド」の本来の意味は、ヤハウェは別々に分かれて存在するわけではなく単一であるということ。それが後に十戒の第一戒の影響により「一神崇拝」の意味に変えられはしたものの、十戒の第一戒それ自体が唯一神教ではなく拝一神教的なので、結局、唯一神教が成立するのはバビロン捕囚の時代に入ってからとのこと。

 

<「出エジプト記」の三章14節は、「出エジプト記」三章のモーセの召命の場面の文脈の中で、独自の意味を持っていると私は思うのです。それは、ヤハヴェ(Yahweh)という、恐らく古代ユダヤ人にとっても本当の意味は分からなかった神の名前の意味の説明という文脈で出てきます。それはそれで意味があると思います。もちろんそれがその神の本質を表す言葉として理解されて、様々なその後の哲学思索の源泉となっていることは、十分に意義があることだと思います。これについては、例えば山田晶さんの『在りて在る者』(創文社、一九七九年)などに書いてあります。ただ、誤解がないように私のほうから申し上げたいのは、hayahというのは、ヘブライ語は大変大ざっぱな網の目の粗い言葉ですから、英語でいうとbe動詞もbecomeも表せます。それから、単なるコプラ(copula)、「私は~である」も表せれば「~がある」も表せます。コンテクストによるのです。例えば、このhayahがいちばん最初に出てくるのはどこかと考えてみたら、天地創造のときの「地は混沌としてむなしく、暗黒が水の上を覆っていった」という、創造以前の混沌とした状態を表しています。だからこれは、ある特定の自己同一的な状態を表すのです。その次にどこに出てくるかというと、「光よ、あれ」。そうすると、これは「光があった」。今度はここでは「生成」を表します。だから、hayahの語が何を意味するのかは文脈によります。ただ、hayahという言葉自体は、状態としては静止的な自己同一性も表せるのです。ただ、この部分で重要なのは、これがehyehという未完了形だということなのです。だから、金先生がおっしゃったbecomingというか、違うものになるのだという意味は確かにある。ヘブライ語は、時制でいうと完了と未完了の二つしかないのです。だからあえて言うなら、hayahというのは完了形ですから、ある特定の決まった静止的状態を表します。けれども、未完了というのは、これから動いて変わっていくということですから、そういうジェネシスの面を含んでくるということなのです。ただ、そうすると、ハヤトロギーというと完了形の形ですから。hayahという言葉自身にオンとかesseと違った独特の意味があるのではないのです。それは、エヘヤトロギーとか言わないと、ちょっとまずい。そういう意味で、我々から見るとhayahという言葉に、すごく強い思い込みが皆さんにあって、そこに何か独自のものがあると考えたがるようですが、実はこの語は単なるbe動詞ですから、やはりその文脈の中に、初めてそういう意味を持つということです。

 

金泰昌 ありがとうございます。厳密に言えばハヤトロギアというよりはエヘヤトロギアと言わないと、脱自的生成という意味が明白にならないということですね。そしてあまり言葉の意味を拡大しすぎると危険だということもちゃんと意識するようにします。

山我哲雄 あえてそういうふうにすると、あまりに期待が大きすぎるような気が、私にはすごくしたのですが。

金泰昌 たしかに思いが大きすぎたかも知れません。>

(~『一神教とは何か』〔東大出版会〕p417~418)

 

 

ボーマンさんの解説

 

<ハーヤー動詞には生成(Werden)と存在(Sein)と活動(Wirken)の三つの主要な意味があり、しかもそれぞれこの三つが内面的に連関し合って統一を形成していることを、彼は見出したのである。大体において彼の分析は正しく、我々のヘブライ人の思惟に関する解釈と一致する。しかし個々の事例について異論のあるのは当然である。>(トーレイフ・ボーマン著『ヘブライ人とギリシャ人の思惟』〔新教出版社〕p56)※ここでいう「彼」とはラッチュオウというヘブライ語の専門家のこと。

 

 

雨宮慧司祭の解説

 

<出エジプト記3章14節の「エフイェ アシェル エフイェ」について聖書学者の雨宮慧司祭は、<この文章はふたつに分けて訳されているが、原文は3つの単語からなるひとつの文章である。つまり、動詞「私はあるだろう」のあとに関係代名詞が置かれ、最後に動詞「私はあるだろう」が繰り返されている。奇妙な文章だが、動詞「ある」は「・・・・になる」の意味にもなるから、「私はなるであろうものになるだろう」と訳すことができる。つまり「お前がどこにいても、そこに私はいるだろう=私は常にともにいる」の意味だと考えられる。>と述べておられる(『図解旧約聖書』〔ナツメ社〕p7879)。

新共同訳(「わたしはある。わたしはあるという者だ。」)や岩波翻訳委員会訳(「わたしはなる、わたしがなるものに。」)は二つに分けて訳されている。同じく、上記引用の有賀氏の場合も<「わたしはいる、そのわたしはいる」または「わたしはいる、それゆえ、わたしはいる」>ということで「エフイェ」を強調していると解する立場である。雨宮氏と違うのは「アシェル」を関係詞だけではなく接続詞として見ているということであるが、一般的には、「エフイェアシェル エフイェ」は単独で完結する形の「エフイェ」(「わたしはある〔だろう〕、いる〔だろう〕、なる〔だろう〕)を関係代名詞を挟んで繰り返し強調した表現であると解され、その意味で左近淑氏は「アシェル」を「確かに」と意訳した。岩波委員会訳の注でも「アシェル」は「関係詞」といわれており、接続詞とみなさずとも二つに分けて訳されるのである。

 

 

浅野順一氏の解説


<ミデヤン人・ケニ人は、ともにパレスチナの南部に住む住民で、両者は関係深く、ことに後者は鍛冶を業としていたと言われる。そしてヤーウェというヘブル人の神名ももとはミデヤン人・ケニ人の神の名ではなかったかと言われるのであるが、それは単なる仮説にしか過ぎないであろう。あるいはミデヤン人・ケニ人もヘブル人と同じ神を拝していたのであるかもしれない。ヤーウェはやはりイスラエルの先祖の神であったが、彼らが長くエジプトに滞在していたためにその神と縁遠くなり、その神名さえ忘れてしまうに至ったのかもしれない。そのためモーセはミデヤンの野、ことにホレブの山で改めて彼の神がアブラハム以来の先祖の神ヤーウェであることを教えられたと言うべきであろう。最後にエジプトにある同胞に対し、モーセがいかなる神によって遣わされたか、その神の名は何と言うのであるかを問うた時、神は「わたしは有って有る者」と答えたが(出エジプト記三ノ一四)、その意味はどういうことであろうか。この解釈は今まで種々になされ、ヤーウェ以外の一切のものは何かによって在るのであるが、ヤーウェは他の何ものにもよらずみずから在る、すなわち自立の神であるとか、他のものはみな一時的存在であるのに対し、ヤーウェは永遠の神であるとか、さらに「ある」(原語ハーイヤー)は「成る」という意味にも用いられるがゆえに、ヤーウェは成りて成る神すなわち歴史の中にみずからを示す、啓示の神というような、いわば思想的・神学的な解釈がなされてきた場合がある。しかし「有る」の最も妥当な解釈は「現実にある」という意味で、モーセに対するこの神の約束「わたしは必ずあなたとともにいる」という言葉がそれをよく表わしている。さてよく知られていることであるが、旧約の神エホバ―‐正確にはヤーウェもしくはヤハウェ(以下本書ではヤーウェと呼ぶ)はYHWHの四つの子音から成り、ユダヤ人はこれをアドナイ(主)と読ませた。それは、モーセの十戒の中に主の名をみだりにとなうべからず(第三戒)とある戒めを絶対的に、やや形式的に受けとり、YHWHという語をアドナイ(主)と読ませたためである。エホバとは実は「主」(アドナイ)の母音をもってYHWHの子音を読ませた結果生じた、いわば誤った読み方にほかならない。日本訳聖書においても文語訳ではエホバと読ませているのはそのためであり、口語訳では「主」と改めたのは、もはや断わるまでもない。話をもとに戻せば、ヤーウェという神名はモーセに始めて告げられたものではなく、イスラエルの先祖たちもよく知っていたわけであり、創世記によればアダムとエバの孫エノスの時代に、はやくも人々はヤーウェの名を呼び始めたと記されている(創世記四ノ二六)。この神はアブラムやイサクによって「全能の神」(エール・シャッダイ)と呼ばれ(同一七ノ一、二八ノ三その他)、また「いと高き神」(エール・エルイョーン)とも呼ばれている(同一四ノ一八)。しかしヤーウェは、イスラエルの神に限定された固有の神名であることは言うまでもない。さて、「我はありてある者とは、「ある」という語を繰り返すことによって存在を強調したものであり、モーセに対してヤーウェは疑うまでもなく、ある神、現実に存在する神(Dasein)を意味し(ブーバー、ドヴォーその他)、その神がモーセをパロやエジプトにあるヘブル人にまで遣わすというのである(出エジプト記三ノ一四)。そして、「これは永遠にわたし(神)の名、これは世々のわたしの呼び名である」と念が押されている(同三ノ一五)。まさにヤーウェという神名はアブラハム、イサク、ヤコブたちの先祖、さらに遡ってはエノス以来呼ばれていたわけであるが、その名が何を意味するかが明らかにされたのは、モーセに対して始めてのことであり、それ以後にも記されていないことは、注目すべきであろう。>(『モーセ』(岩波新書)p2831

 

                                                                                                     

手島佑郎氏の解説

  

<ヤハウェが自らを「有りて有る者」(出エジプト記三・一四)と定義しています。原文のヘブライ語では、「アハウェ・アシェル・アハウェ」と言っています。これは「私は成るであろうとするところのものである」という意味であります。しかし、J・ブライトやその他の最近の学者の説では、ヤハウェという名前が「hwh(成る、ある)」の使役動詞からきている点に着目して、元来は「ヤハウェ・アシェル・イヒウェ」と名乗ったのではないだろうかと考えるのが一番有力な説になっているわけです。つまり、「存在しようとするものを有らしめる者」という意味です。万有一切の根源者として、万物の生々流転からも超越している点で、それは生死のある多神教の神々を越える存在者でした。そうであればこそ、サレムの王メルキゼデクとアブラハムが出会ったとき、メルキゼデクは「エル・エリヨン(いと高き神=バアル神の別称)」の名においてアブラハムを祝福していますが、アブラハムが「エル・エリヨン」をバアル神とは受け取らず、かえって「天地創造せしいと高き神ヤハウェ」とすり替えることも可能だったわけです(創世記一四・一七~二二)。(中略)

ヤコブがカナンの地に帰ってきたとき、ヤハウェを礼拝する前に、彼の一族郎党は身につけていた偶像の数々を捨てたと聖書は記しています(創世記三五・一~四)。これを見ても、イスラエル人全員が初めから一神教に立っていたと考えるのは困難です。(中略)イスラエル人が初めからヤハウェの信者であったというのは誤りであって、個人個人生まれるたびにやはりヤハウェと契約を結び直して、ヤハウェを私の神とするというプロセスが必要になる。(中略)王朝時代のカナンの全土には、広い意味でhenotheismがあったということもできる。しかし、これはあくまでも広域的文化現象としてとらえた場合の判断であって、聖書自身が自分の宗教をhenotheismだと認めていたことではない。聖書の宗教自体は、その当初から、「イエスラエルは他の何者をも神としてはならない。また偶像礼拝もいけない」と、明確にmonotheismを宣言している。他民族はいかようにもあれ、自分たちイスラエルはヤハウェのみを神と崇め、ヤハウェのみを信じるという点で、イスラエルの宗教は最初から一神教であった。(中略)換言すれば、古代イスラエルの宗教史は、ヤハウェ宗教がはじめから一神教であったのに対して、イスラエル人のほうはそれに順応受容できないで異教に走ってしまうという同床異夢のくり返しであった。(中略)

バビロン捕囚も終る紀元前五五〇年頃になると、唯一神観がもういちど大胆に宣言される。「ヤハウェ、イスラエルの王、イスラエルを贖う者、万軍の主はこう言われる。『我は初めなり、我は終りなり、我がほかに神はなし』と」(イザヤ四四・六)。この第二イザヤのことばによって唯一神観はひとつの頂点に達する。しかし、ここに至るまで、実に長い紆余曲折があった。それは、ひとつには God is one というが、その oneness という概念の難しさによるものだと考えられる。日本語では「主は唯一人である」となってしまって、そこに何人かの複数の中の唯一人というとらえ方をしていますが、ヘブライ語では「アドナイ・エハード」です。そのエハード(one あるいは oneness )という観念の難解さゆえに、それ以後のユダヤ教では、神の内面性についての探究が進められていくことになります。(中略)ともあれ、このプロセスを経てようやく一神教というものが定着し、その象徴として申命記六章の四節から九節にあるシェマーの言葉がユダヤ教の礼拝の中心部分として採用され、今日に至っているのであります。(中略)

今日のユダヤ人は、God is one という場合の one が単に数学的に沢山あるものに対する一つとしてとらえるよりも、むしろ英語で言うならば、uniquenessというような概念でとらえています。あるいは only reality といいますが、そういうとらえ方をしています。そして神が unique であるがゆえに、全イスラエルに対して関心を持っているのだと。神がもしたくさんいるならば、それぞれの神が色々なことを考えればいいのです。神が一つしかないがゆえに、まさにイスラエルは神の関心の対象になっていると、こういう思想的な判断がなされています。その結果、ユダヤ人が得た結論はなんであったかというと、マラキ書の二章十節に「われわれの父は皆一つではないか。我々を創った神は一つではないか。なにゆえ、我々は先祖達の契約を破って、各々その兄弟に偽りを行うのか」これです。つまり同じ神を礼拝するのであるならば、神がひとつであるがゆえに我々は倫理的な行動をとらなければならないのである。>(国際クリスチャン教授会編『新しい神観の探究』〔星雲社〕P195206)※「ヤハウェ」の「ハ」は小文字表記。

 

 

木田献一氏、山我哲雄氏の解説

  

<著者は、モーセの召命に際して名を尋ねられた神が、まず「エフイエ・アシェル・エフイエ」(「わたしは、有って有る者」、出三章14a)と答えた後に、「エフイエ」(14b、著者によればこれはこの語が固有名詞として用いられる唯一の例である)と答え、さらに「ヤハウェ」と答える(15節)ことに着眼し、そこに「赦し愛する神と、恐るべき神との二面性」(四五頁)を見ようとする。そして著者は、神の顔を正面から見たら死んでしまうが、神はモーセに後ろ姿だけを見せたとされることを引き合いに出し、「ヤハウェの背中はエフイエである」と(比喩的に)表現する(四九頁)。すなわち「ヤハウェ」という神名は「人間の傲慢を許さず罪人を殺す」恐るべき神の側面(=顔)に、「エフイエ」は「罪人を赦し弱い者を救う」神の優しさの側面(=背中)にそれぞれ対応している、というのである。(中略)著者によれば、「エフイエ」は、その言葉によって呼びかけられる人間すべての間に「わたしはある」という主体性を目覚めさせ、かつ、そのことを通じて「人間どうしが自立しつつ共生する場を開く声」(五九頁)であった。(中略)著者によれば「ヤハウェ」は「ある」を意味する「ハーヤー」の未完了三人称単数使役形であり、「彼はあらしめる」を意味し(六三頁)、「イスラエルにおける公式の神名」であり「イスラエル宗教の正統的側面を明示する神名」(六六ー六七頁)である。「わたしはある」(エフイエ)が「神の啓示による人間の新しい共同体の根拠と本質を示す」ものであるのに対し、「彼はあらしめる」(ヤハウェ)は、「この共同性を、・・・・・・崩壊、挫折させようとするあらゆる努力に対して、実力をもってこれを擁護する働きを象徴する」ものであり、前者が「解放と自由の源泉」であるのに対し、後者は、「解放と自由を現実の歴史の中で具体化する意志を示す」ものである(六七頁)。しかし著者によれば、イスラエルのその後の歴史は、ヤハウェのそのような意志を実現することがいかに困難であったかを示す、挫折の歴史となった。(中略)イスラエルの宗教は元来多神教であったが、前八世紀以降一部の集団の中で特殊主義的な「ヤハウェのみ運動」が起こることによって拝一神教的性格を強め、捕囚時代になってはじめて普遍的な唯一神教が成立したとするラングらの理論は、西欧的な発達史観に基づく観念的な説明にすぎず、例えばそもそもなぜ「ヤハウェのみ運動」が成立したのかを説明できない(八一頁)。著者によればヤハウェ宗教の普遍性と独自性として問われるべきは、「人類の宗教史上、最古の創唱宗教」(八二頁)であるヤハウェ宗教を成り立たしめた「啓示体験の根源性」と、その啓示体験による「共同体の質的革新」がいかなるものだったか、である(八二、八六頁)。ここで言う「革新」とは、「人間の主体性を喚起して〔地縁、血縁などの〕旧来の共同体の束縛から解放し、新しいより平等主義的な共同体へと再編していく」ことであった(八五頁)。そして著者はここでもまた、特殊な民族神としての「ヤハウェ」の名の背後にある「わたしはある」(エフイエ)という神の名にそのような根源的な啓示を見る。それは、「それを唱える人自身が、およそ『わたしはある』ということを自分自身の存在についても確認するようになる」名だからであり(九三頁)、「ここに『特殊』としての、民族ないし宗教的共同体としてのイスラエルは根本的に乗り越えられ、『普遍』としての神と『個』としての人間の関係が、この名を根拠として成立する」(九四頁)からであるという。(中略)

部分的に多少の戸惑いを感じさせることもあった。例えば、エリヤがホレブで聞いた「静かにささやく声」が「エフイエ」の語であったという発想は、まことに卓抜にして示唆に富むものであるが、検証も反証もできない類のものではなかろうか。ここでは評者が感じた他のいくつかの疑問を付記して、著者からの教示の機会を待ちたい。(中略)ヤハウェ宗教の普遍性等の旧約宗教のユニークな諸要素を、旧約聖書中のただ一箇所にしか出てこない、しかもその表現がはなはだ曖昧で謎めいた「エフイエ」という神の固有名詞に言わば一元的に還元して説明しようとする木田氏の論理には、やはりある種の危うさを感じざるを得ない。まず素朴な疑問を感じたのは、議論の背景となる歴史認識の問題である。(中略)王国成立以前のイスラエルをヴェーバー的な意味で「誓約共同体」と呼ぶことが今なお有意義であることは、シェーファー=リヒテンベルガーが示した通りである。しかし、後者の意味での「誓約共同体」はあくまでもカナン内部ではじめて成立したものと見なされるべきであり(中略)したがってそれを出エジプトの指導者モーセに直接結び付けることには無理があると考えざるを得ない。何といってもモーセは、「カナン外」の人なのである。しかし木田氏は、モーセへの神名の啓示とその体験に基づく新しい宗教の創唱を言わば誓約共同体形成の原動力と見なすため、「シナイで成立した萌芽的な誓約共同体」を想定し、それと後のカナンにおける部族連合との間に「深い断絶」を認めるわけであるが(三〇頁)、このような歴史認識は、現在では少なくともかなり特異なものと言わねばならないであろう。次に、モーセの召命と神名の啓示を歴史(史実)のレベルで捉えるか、文学的表現のレベルで捉えるかという問題があろう。こんな基本的問題を提起するのも、木田氏がそれを純粋に前者の意味で、しかも決定的な重要性を持つ「原事実」のようなものとして捉えているように見えるからである。(中略)定型的な召命場面の文学類型に従って構成されており、しかもこの文学類型の構成要素には、「エフイエ」の語が「共在定式」(Beistandsformel)の一部として含まれているのである。それゆえこの場面はあくまで様式化された文学的表現として扱われるべきであるように思われる。(中略)本書を通じて木田氏は、神名「ヤハウェ」が「ある」を意味するヘブライ語の動詞「ハーヤー」の使役(ヒフィル)形であり、「あらしめる」を意味すると繰り返している(四〇、五九、六三ー六五、九四頁)が、これにも疑問がある。この問題は、ヤハウェが当初より創造神と見なされていたかという宗教史的問題とも関連するが(否定的見解が優勢)、それを棚上げするとしても、「ハーヤー」およびそれに対応する動詞が使役形で用いられた例は聖書内外を問わず存在しないし、ヒフィル形としては、この神名の第三子音wもその母音eも説明し得ないからである。「ヤハウェ」という神名を語源に遡らせて使役的な意味に解する研究者もいないではないが(中略)それが「比較的多くの学者に受け入れられている見解」(六三頁)とは到底言えないように思われる。ちなみに小生は、神名「ヤハウェ」はヘブライ語からは説明のできない(したがって古代イスラエル人にとっても元来の意味が不明な)外来の語であり、出エジプト記三章14節における動詞「ハーヤー」との結び付けは、文字(発音ではない!)の類似性に基づく――かなり後代の――二次的解釈に当たると見ている。出エジプト記の「エフイエ」とヨハネ福音書におけるイエスの「エゴー・エイミ」を結び付ける見方は、はなはだ興味深い。ただし、木田氏はヨハネにおける述語を伴わない絶対的用法の「エゴー・エイミ」が「出エジプト記三章14節の I shall be に相当」しているとするが(四二頁)、少なくとも七十人訳では出エジプト記三章14aは述語を伴う「エゴー・エイミ・ホ・オーン」(中性名詞「ト・オン」ではない!)であり、問題の同14bに至っては「エゴー・エイミ」さえ欠く「ホ・オーン」であることが気になる。>(山我哲雄氏「成果と展望(書評)旧約学 木田献一著『神の名と人間の主体』」)

関根正雄氏の解説 <神がモーセにいわれるのに『わたしはあらんとしてある者である』。そしてまたいわれた、『イスラエルの子らにこう言いなさい、< わたしはあらんとする者 >が、わたしを君たちのもとに遣わされた、と』」。神がその名前を明かにされて、モーセをイスラエルの子らのもとに遣わすわけである。(中略)二節で「神がモーセに語っていわれた、『わたしはヤハウェである。わたしはアブラハム、イサク、ヤコブには< 全能の神 >として現われた。しかしわたしの名がヤハウェであることは、彼らに知らせなかった。・・・』」という、有名な「全能の神」の問題が出てくる。原語の「エール・シャッダイ」というヘブライ語の意味は、じつは確定的には分かっていないが、大体はギリシア訳に従い「全能の神」と訳している。これは「創世記」一七章の一節に「アブラムの九十九歳の時、ヤハウェはアブラムに現われていわれた、『わたしは全能の神である。あなたはわたしの前に歩んで、全かれ。・・・』」ということがあり、「出エジプト記」第六章でそれに応ずるわけである。
これらはいずれも前にふれたいわゆる祭司資料といういちばん新しい資料だが、「わたしの名前がヤハウェであることは、彼らに知らせなかった」とはっきり書いてあるわけで、こういう理論的な書き方は、「出エジプト記」第三章の、祭司資料よりかなり古い後述のエロヒム資料にはない。(中略)
「出エジプト記」三章以後にヤハウェが主としてエロヒストにおいても使われる。であるから、ヤハウェという名前がモーセ時代に知られるに至ったことは、三つの資料のうちエロヒム資料と祭司資料が一致しており、歴史的にもヤハウェはモーセ以後知られるに至った神名であることは多くの人の認めるところである。(中略)
モーセの果たした重要な役割は、アブラハムの神、イサクの神、ヤコブの神とモーセに現われた新しいヤハウェの神をアイデンティファイしたということである。「出エジプト記」第三章および第六章にある伝承は後代の伝承であるし、モーセの召命の時のヤハウェの神の顕現に対して細かいところでそれぞれ違っているが、共通しているのは先祖の神とヤハウェとの同一視である。(中略)
旧約の神はモーセ以後ヤハウェという名前で一貫している。それに対して、バビロニアの主神「マルドゥック」は五十も名前をもっており、エジプトの「レー」は四十の名前をもっている。その点はイスラエルの神と著しい対照をなす。
旧約の神名が一つだということは神が一人だということである。「ヤハウェ」のほかに前述の「エール・シャッダイ(全能の神)」や「エール・エルヨーン(至高き神)」が後々までわずかに出てくるが、問題にならぬ回数である。
ヘブライ語の問題になるが、前述の「わたしはあらんとする者」と訳したのを、三人称に置き換えると「ヤハウェ」となる。このヘブライ語の語根「ハーヤー」の意味はひじょうに争われている。
あるイスラエルの学者は、比較的近年に、ヤハウェという名前をアラビア語の語根と結びつけて「情熱的なる者」という意味だという。「存在する者」とか「存在せしめる者」とか、さらに現代的に「実存者」という意味だ、というが、問題はこの時代に「存在」とか「実存」とかいう概念が正確に原語の意味に応ずるかであり、さらに遡るとこの時代の
イスラエル人の思考法の段階の問題になろう。(中略)
先の「わたしはあらんとする者」というのはどういう意味か。この問題を最近詳しく論じたのはW・H・シュミットであるが、ヘブライ語、アラム語に出てくる「ハーヤー」「ハヴァー」は、動詞の起因話態としては他に例がないので、「あらしめる者」という起因的な意味はむりであろうとする。「ある」を神の存在性、不動性、恒常性という抽象的意味から解すべきではなく―‐これは西欧的な神の属性の考え方である―‐、「出エジプト記」三章一二節の「わたしは君とともにあるであろう」という具体的な神の同伴、現在から解すべきであろう。もちろん旧約の考え方では個人と全体は離れないので―‐これをロビンソン以来「複合人格」といっている―‐、モーセとイスラエル全体に対しての歴史の中での、神とともにある霊的リアリティが中心だ、と解したい。それは当然これからの歴史の中での神の活動を含む。一応「わたしはあらんとする者」と訳す。
ついでにいうと、ギリシア訳は「ホ・オーン」である。「ホ・オーン」というのは、正にギリシア的な言葉で、「存在者」を意味するが、これは明らかにギリシア的解釈である。これは神を実体とする見方につながる。私はギリシア的な意味の存在ということは旧約の場合には問題にならないと思う。全体のコンテクストからいうと、むしろ、生ける神にふれて死んで新たに生かしめられた者が神の同伴、現在を真に知りうるのであり、召命の際のモーセも、シナイ山におけるイスラエルの場合もその具体的コンテクストから「ヤハウェ」の名の聖なるリアリティを知りえたのであると解したい。>(関根正雄著『古代イエラエルの知恵旧約の預言者たち』〔講談社学術文庫〕p8990)(※太字の「ある」は私記で、本文では傍点が付いている。

聖書はあくまでも(「マイ・ゴッド」との)対神関係の自覚化の媒体であって、先立つのは現実に生きて働いておられる主なる神(=唯一絶対者)との人格的関係であり、そのリアリティーである。その現在に立ってこそ文字に束縛されず自由な活きた信仰が成り立つ。それは関根清三氏がいわれるとおり、直解主義的にはあり得ない。
「聖書は神に関して我らに教える書ではなく、活ける神そのものに直面せしめ、その実在にまのあたりふれしめる書である。聖書において我らに迫り来る神は絶対他者としての活ける神、我らの罪をさばくことによって、これを赦したもう聖なる父である。」(高倉徳太郎著『福音的基督教』第1講第3節)※「絶対他者としての活ける神」・・・ここが極めて重要なのだ!

 

<古代ヘブル人の神は最初から創造神であったことには、ほぼまちがいないが、それは古代東方の、特に、メソポタミヤの神々が、創造神であったのと同じような意味においてである。イスラエルの神も、長く族長たちの神、ヘノシイズム(あるいはモノラトリー)の神であった。それがモノシイズム(唯一神信仰)の神となるには、長い年月を要している。天地創造の神はいろいろあり、その一つでしかなかったイスラエルの神が「無より」の創造者という唯一無比のものとなったのは、この復活論を契機としてであったといっても過言ではない。すなわち、古代東方一般に広がっていた創造論の一類型でしかなかったものから、真に独自のユダヤ教的な、ex nichilo の創造論となったのも、実は黙示論的復活論を通してであった、ということができる。>

(大林 浩著『死と永遠の生命 そのキリスト教的理解と歴史的背景』〔ヨルダン社〕p223

申命記6章4節「聞け(シェマア)、イスラエルよ(イスラーエール) ヤハウェが我らの神(ヤハウェ エローヘーヌー)、ヤハウェはひとり(ヤハウェ エハード)」 ※「シェマア」は「シャーマア」(聞く)の男性単数命令形。「イスラーエール」は呼格(『聖書ヘブライ語』1988.3 第7号 p71)。「エローヘーヌー」は「エローヒーム」(神 ※複数形だがしばしば単数扱い)に1人称複数の接尾人称代名詞(ヌー)が付いた形。ちなみに1人称単数は「イー」、2人称単数は「カー」、2人称複数は「~ェケム」※『旧約聖書ヘブライ語独習』(キリスト新聞社)p41参照。 「エハード」は数詞の「1」の男性形。「ヤハウェ エローヘーヌー ヤハウェ エハード」は名詞4つが並んだ名詞文。「ヤハウェが我らの神であり、ヤハウェはひとりである。」 ※通常は、数詞が固有名詞を修飾することはあり得ない。 ×「ひとりのヤハウェ」(または「唯一の主」)~前掲の『聖書ヘブライ語』p72  岩波版訳「われわれの神ヤハウェは唯一なるヤハウェである。」  ※<恐らく本来は「イスラエルよ聞け。ヤハウェは唯一なる方」であったと思われるが、「唯一なる方」に相当する原語のエハードは「一つ、一人である、唯一」(中略)と訳しうるため、「イスラエルよ、ヤハウェのみに聞け」であった可能性もある。>と注記されている。もし、「ヤハウェのみに聞け」だったなら「唯一神教」とは言えないことになる!拝一神教でもあり得るからだ。< 旧約聖書学は、考古学的発見やテクストの記述に基づいて、古代イスラエルにおけるヤハウェ宗教が「唯一神教/一神教(Monotheismus)」という概念規定には当てはまらないものだったのではないかという見解を、早くから提出してきた。そして、他の神の存在自体を認めない唯一神教という概念によって導かれる宗教像と、古代イスラエルにおけるヤハウェ宗教を区別するため、しばしば別の術語を用いてきた。拝一神教(Monolatorieは、その中でも頻繁に使われる語だろう。これは、他の神々の存在は認めつつ、ある特定の神のみを崇拝することを指す。その神がヤハウェの場合は、拝一神教的なヤハウェ崇拝(Monolatrische Jahweverehrungと表現される。一方、拝一神教(Monolatorie)と類似した古代オリエントにおける宗教現象には、交替一神教(Henotheismusという術語が与えられている。ある特定の神の祭儀期間はその神に絶対的崇拝を捧げる、いわば「感情と気分における一神教」(M.Müller)を指し、時期や状況によって崇拝される神が交替する。これ以外にも、ある大きな集団が疫病や干ばつといった危機に陥ったときに特定の一神に助けを求める一時的拝一神教(Zeitweise Monolatrie)、個人が自らの守護神を生涯にわたって永続的に崇拝する単一神信仰(Henolatorieなどの術語を挙げることができる。なお、F.Stolz は、「唯一神教」が歴史的概念として史的発展図式と結びつくとき、発展の出発点あるいは到達点に据えられるという傾向を指摘している。シェマーに関しては、テクストの前後関係に照らしても、他の神々の存在自体を認めないという意味における唯一神教的な枠組のもとでの理解は困難だとされてきた。たとえば、シェマーに後続する申命記614 節には、「他の神々、周辺諸国民の神々の後に従ってはならない」と記されている。つまり、他の神々が存在し、諸国の民と関係を保っていることが認められる。>(~宮田玲氏の論文<シェマーにおける「一(エハド)」理解>)※「エハード」を三位一体論と結び付けようとする福音派のM牧師の解釈(http://d.hatena.ne.jp/koumichristchurch/20111224/p1)について、旧約聖書学者のY教授の批判的回答を得たので、下に引用しておく。

(返答の本文)

<たしかに、「一つ」を意味するヘブライ語に「エハード」と「ヤヒード」がありますが、両者の間に言われるような意味上の明確な区別があるとは思われません。そもそも「ヤヒード」は「結合する」、「仲間入りする」、を意味する動詞「ヤーハド」が形容詞や名詞に変わったものですので、意味上、多様性を内包する一性を表すと見ることもできます。もちろん、用例上は一つしかないもの、一人ぼっちのといった意味で用いられることが多いようです。他方の「エハード」はまさに「一」という数詞で、個数だけでなく序数も表します。例えば、この語が最初に聖書に出てくるのは創世記の15の「第一日」で、ここでは「一つのうちにおける多様性を表す」とは考えられません。バベルの塔の場面の「一つの民」、「一つの言語」(創116)も「エハード」です。レビ57では二羽の山場のうち、「一羽」(エハード)を贖罪の献げ物に、もう「一羽」(エハード)を焼き尽く献げ物にするように定められていて、逆に「多」が二つの「一」に分割されています。それゆえ、例に挙げられたような、幕屋の組み立てや男女の一体化のような、複数のものの合体にも「エハード」を用いることがあるのはたしかですが、逆に「エハード」が用いられる場合には常にそういう意味であるとはまったく言えないと思います。申命記64は「シェマ(聞け)」という語で始まるので、「シェマの祈り」と言われていますが、これは解釈の難しい部分です。少なくとも、それは必ずしも「神の唯一性の宣言文」とは言えないと考えられています。そこで言われていることはせいぜい、「我らの神」がヤハウェひとりということで、すなわちイスラエルにとっての神はヤハウェだけであるということです。すなわち、ヤハウェ以外の神の存在如何については問題にされていないのです。それはあくまで、一神崇拝の要求であって、神の唯一性を述べたものではないのです。実は、「シェマの祈り」の文章は、もともとは少し違った意味のものであったとも考えられています。申命記は、王国時代末期のヨシヤ王の宗教改革(列王記下2223章)と連関性のある文書だと考えられています。ヨシヤ王は、それまで各地にあったヤハウェの地方聖所を廃止させ、ヤハウェの祭儀をエルサレム神殿に集中させました。ヤハウェという神が、サマリアやヘブロンやベテルに分かれて存在するのではなく、「我らの神ヤハウェはあくまでひとつ」なのだから、だ一つの聖所で礼拝しなければならない、ということだったようです。それが、後に十戒の第一戒の影響を受けて、一神崇拝的な意味で理解されるようになった可能性があります。歴史的に見れば、「三位一体論」はキリストの神性をめぐる論争を背景に、後四世紀のニカイア公会議やコンスタンチノープル公会議を経て初めて定式化されたもので、旧約聖書にはもちろん、新約聖書にもそのような考え方はありません。よく典拠とされるマタイ2819で言われているのは、洗礼を行うときにその三者の名を唱えなさい、ということで、それら三者が一体であるとか、本質的に同一であるとかについては何も言われていません。ずっと後になってから発展したキリスト教の教義を旧約聖書に「読み込む」ことは、歴史的に考えるうえでは適切ではないでしょう。神が「我々に似せて人を造ろう」(創123)と言ったことについても、傍らの天使に向けて言ったなどの別の解釈も可能です。例の文章を書いた方は、伝統的教義にこだわる福音派系の牧師さんではないでしょうか。ご本人の信念ならしかたがないですが、旧約学の立場から見ると、無理な釈義と言わざるを得ません。>

つまり、リンク先ブログのM牧師の記事は「伝道的教義にこだわる福音派牧師」にありがちな牽強付会的解釈であると言える。

なお、Y教授の返答にある「ヤハウェ以外の神の存在如何については問題にされていない」という点が、上記の宮田氏の論文で「シェマーに関しては、テクストの前後関係に照らしても、他の神々の存在自体を認めないという意味における唯一神教的な枠組のもとでの理解は困難だとされてきた。たとえば、シェマーに後続する申命記614 節には、「他の神々、周辺諸国民の神々の後に従ってはならない」と記されている。つまり、他の神々が存在し、諸国の民と関係を保っていることが認められる。」ということを意味する。これは「拝一神教」のことだと理解していても間違いにはなるまい。そもそもイスラエルの宗教は同じ「一」神教ではあっても「唯一」神教ではなく「拝一」神教だったのだ。

  

 

小原克博氏の「唯一(神)」理解

 

「唯一なる神」を信じる唯一神信仰は、今日のキリスト教にどれほどの生きた「神の語り」をもたらしているだろうか。それはキリスト教神論のいわば大前提にされ、本来、イスラエルの歴史の中で開示された救済的行為者としての超越的契機は概念化されてしまっている。つまり、十戒の第一戒に抵触するほどに、神は「唯一」という概念にかたどられ観念的偶像とされているのである。イスラエルの知者たちが教理的関心から唯一神信仰へと至ったのではないこと、ましてや、当時の多神教的環境世界に相対する意味で「唯一」という概念を用い、神を絶対化しようとしたのではないことは明らかであるそもそも、我々が一般的に「神」と呼んでいる言葉が安易に唯一神論的理解に結びつけられることは、歴史的に見て正当なことではない。例えば、新約聖書において「神」を意味するqeoVを、ラーナー(K. Rahner)は次のように説明する。「ギリシア人においてはqeoVという言葉によって、唯一神論的な意味で、ある特定の人格の一つなること(Einheit)が考えられているのではない。むしろ、どのように形態が異なっているにせよ、はっきりと感じられる宗教的世界の統一性(Einheit)が考えられているのである。ギリシア的な神概念は本質的には多神教的である。しかし、それは多くの個別化された神々という意味ではなく、秩序づけられた神々の全体性(Gottergesamtheitという意味においてである神という言葉に対するこのような理解は、旧約聖書の世界においても対応関係が見られる。例えば、ローフィンク(N. Lohfink)はシュメール人のような異教徒も一人の普遍的な神を経験していたと主張し、イスラエル宗教における、いわゆる唯一神信仰が孤立した発展を遂げたわけではないことを指摘する。他方、ヤハウェのみ運動(Jahwe-allein-Bewegung)も、多神教的イスラエルとの共存関係を前提にしていること、また、ユダヤ教が唯一神教的になった後も、多神教的要素は同化されながら、その痕跡をとどめていることなどは、唯一神信仰成立における周辺要素として過少評価されるべきではないこのように、ユダヤ・キリスト教的伝統の中で神と呼ばれる言葉は、最初から一義的に確定されたものではなく、一般的な神理解からの多様な変遷を経ていることは明らかである。では、そこにどのような変遷の過程があったのだろうか。あるいは、あり続けるのだろうか。この事情を、例えばパネンベルク(W. Pannenberg)は次のように説明する。まず彼は、旧約聖書における普通名詞(Gattungsbezeichnung)としてのエロヒームと固有名詞(Eigenname)としてのヤハウェの二重性を取り上げ、唯一神教成立のプロセスを前者から後者への特定化の運動と見ている7。同様に、キリスト教の神概念も、それ以前に共有していた一般的なカテゴリーをイエス・キリストの出来事に限定し、前キリスト教的、非キリスト教的神理解を修正した結果、獲得されると考える。彼の論点は、神について語るためには、一般的な哲学的(形而上学的)神概念が必要不可欠だという点にあり、彼は、哲学的神概念と聖書的神理解との弁証法を可能にするために哲学的神学の重要性を説いている。さらにそこから、キリスト教がいかに神理解を修正しているにせよ、それ以前に人類の間に「神」という名で知られていた「同じもの」を、キリスト教は宣教活動において語っているという彼の宣教論の一端も明らかになってくる。(中略)唯一神論が無批判に既知のものとして受容される問題性については、本論文の冒頭部分において概観したが、最大の問題は、唯一神論が隠喩的生命力とは無関係な抽象的理論として定着してしまうことにある。多神論(poluqeia, poluqeoV)とその関連語が古典ギリシア語に用例を見出されるのに対して、唯一神論という言葉が本来、ギリシア語に存在しないことからもわかるように、ギリシア文化圏において、多神論は経験的対象として存在するが、唯一神論はそうではなく、きわめて抽象度の高いものであったことがわかる。そのような時代状況の中で、「一なる神の抽象的彼岸性というイメージや、神の一切の多様性を排除した神の単一性という抽象的イメージなどと異なり、三一論は実際に『具体的な唯一神論』なのである」。当初、三一論によって、ヘブライ的な神理解はギリシア的世界の中で抽象化され、希薄化されることなく、キリスト教の中でも同様の具体性をともなって継承されていったと考えられる。つまり、様式の相違にもかかわらず、三一論が隠喩的特性を十分に保持している限り、それはヘブライ的な神理解と位相の相似があると言える。しかし、三一論そのものは唯一神論を技巧を凝らして変形させたものではなく、そもそも、受肉論から派生している。イエスが神の国の近さを説き、たとえの中で神の支配の近さを物語るというテキスト世界が、後にギリシア的文化コンテキストの中で、イエスは神が肉体をとられた方であるという受肉の隠喩となって表現されるのであるが、それが三一論成立の伏線となっている。したがって、唯一神論が抽象的に受け取られることは、三一論における隠喩性の喪失に由来し、さらに、その三一論が抽象的に受け取られることは、受肉論における隠喩性の喪失に由来する。少なくとも、イエスは神性と人性を合わせ持つ、あるいは、イエスはまとこの神であり、まことの人であるという受肉論的・キリスト論的命題が、存在論的な地平で形而上学的に論じられている限り、唯一神論の活性化への道は閉ざされたままであろう。そのような課題を意識しながら、唯一神論がキリスト教の絶対性要求の道具として用いられることをやめるならば、「一」なることは日常的「多」を支配する原理としてではなく、「多」の間に生きている我々の想像力・共感能力を活性化し、生活コンテキストの意味解の深さと広さをきわめる隠喩的結節点として働くのである。この視点をさらに延長していくならば、我々は今日における宗教間対話の問題に糸口を見出すことができるだろう。>(小原克博氏の論文「神理解への隠喩的アプローチ」~『基督教研究』第56巻第1号) http://www.kohara.ac/research/1994/12/article199412.html※この論文中で「三位一体論」とは言われず「三一論」と言われていることについては、下のサイトの記事を参照。

http://webheibon.jp/blog/satomasaru/2013/01/post-42.html

 

「宗教間対話」・・・ここにこの小原論文のホンネが見える。この点は批判的な意味において要注意である!

仮に小原氏の言うとおり、「イスラエルの知者たちが教理的関心から唯一神信仰へと至ったのではない」としても、あるいは、「当時の多神教的環境世界に相対する意味で『唯一』という概念を用い、神を絶対化しようとしたのではない」としても、いわゆる拝一神教的な意味で、つまり、他の諸部族や諸民族それぞれの崇拝対象(これを「神」と呼ぶとして)があることを前提としたうえで、自分たちは「ヤハウェのみ」を崇拝するという「一神礼拝」(本田峰子さんの論文「ヤハウィストの神 : 旧約聖書のはじめの神観」で引用されている石田友雄著『ユダヤ教史』〔山川出版社〕より)の実存主義的な唯一神信仰が歴史的に根拠ないなどと言い切れるだろうか?

我々が一般的に『神』と呼んでいる言葉が安易に唯一神論的理解に結びつけられることは、歴史的に見て正当なことではない」と言うことはできるとしても、だからと言って、ラーナーが説明する「ギリシア人」云々ということ、特に「ギリシア的な神概念」が「多くの個別化された神々という意味ではなく、秩序づけられた神々の全体性」という意味において「多神教的である」ということが、日本人にとってどういう意味があるのだろうか?そもそも一概に「ギリシア人」といってもいろいろだろうし、このような「秩序づけられた神々の全体性」などという考えは、明治時代に福澤諭吉などが(「ユニテリアン」と称したが実態は内容空疎で観念的な)普遍宗教の如きものを日本に導入しようとした経緯を思い出させる。

そしてほかでもなく、聖書が示している「唯一の神」が、このような「宗教間対話」の如き非実存的観点から理解されて然りとは到底思えない。このような論考は信仰の現場から遊離し、真面目な信徒を惑わすものにほかならない。

小原氏は、<当時の多神教的環境世界に相対する意味で「唯一」という概念を用い、神を絶対化しようとしたのではない>とか、<唯一神論という言葉が本来、ギリシア語に存在しないことからもわかるように、ギリシア文化圏において、多神論は経験的対象として存在するが、唯一神論はそうではなく、きわめて抽象度の高いものであったことがわかる。そのような時代状況の中で、「一なる神の抽象的彼岸性というイメージや、神の一切の多様性を排除した神の単一性という抽象的イメージなどと異なり、三一論は実際に『具体的な唯一神論』なのである」。>などと述べているが、これは深津氏の、「聖書の世界が拝一神教で貫かれていた」とか「十戒の第一戒に「あなたには、わたしをおいてほかに神があってはならない」とある通り、単一の神であるヤハウェを自らの神とする意識が強い」という主張と合うのか合わないのかと言えば、合わない方が大きいように感じられる。要するに「一神教」の「一」の見方が異なるのだ。この点については他の学者、組織神学者ではなく旧約学者の深津氏などの御見解を仰ぐ必要を感じる。

 

 

深津容伸氏の「一神教」理解

 

「イスラエルは拝一神教から唯一神教へと移行したのだろうか。唯一神教に移行するためには、ヘレニズム的な思考転換を必要とするのであるが、ヘレニズムの影響はアレキサンドロスの出現、すなわち、紀元前4世紀以降まで待たなければならない。ということは、申命記学派も第二イザヤも唯一神教ではないということになる。彼らは、イスラエルにとっての神は唯一であると語っているのである。(中略)つまり、旧約聖書においては、預言者たち、十戒、申命記学派、第二イザヤすべてが拝一神教であったということになる。(中略)パウロの神観もほぼ、多神教を背景とした拝一神教であったと言える。(中略)以上から推定できることは、いわゆる現代的な意味での客観的唯一神教は、紀元後2世紀に、イエス・キリストの神格化をめぐっての、キリスト教との対立の中で、ユダヤ教内から生じたのではないかということである。」(<「一神教をめぐって」ー旧約聖書,ユダヤ教,キリスト教ー>)

<筆者は先に「一神教をめぐって」という論文の中で、聖書の世界が拝一神教で貫かれていたということを論じた。これは神々の存在の中で単一の神を自らの神とするというもので、多神教を背景とする神観であり、多神教という点では日本も共通のものである。しかし日本との違いは、日本人が「自分の神」という意識を持つことが弱いのに対し、十戒の第一戒に「あなたには、わたしをおいてほかに神があってはならない」とある通り、単一の神であるヤハウェを自らの神とする意識が強いということである(これは、当時支配国と属国の間で結ばれた宗主権条約[支配国は属国に対し保護を約束する見返りとして、貢納と戦争時の戦力となることを義務づけるとともに、他国との関係強化を禁じる]を神と民との関係に当てはめた結果と思われる)。しかしこのことは、他の神々への礼拝を禁じるものではもともとなかった。筆者は先に「異教礼拝(偶像礼拝)をめぐって」において、古代イスラエルの世界にあっては、儀礼的な異教礼拝、偶像礼拝は当然のものだったということを論じたが、このことも日本の宗教事情と共通のものである。(中略)旧約聖書の世界は西欧の近代世界とは異なり、アニミズム、シャーマニズムが当然の世界であり、近代になるまでの全世界共通の背景の中にあり、日本とも共通の世界である。(中略)たとえば、神の存在を自然の世界に喩えるのはカナン宗教にしばしば見られる。アニミズムでは自然のあらゆる事物の中に神が宿っているとされる。それは日本も同じであるが、神を事物に当てはめて喩えることそのものがカナン的であると言える。一方、元来ヤハウェは偶像のような見える形としては表してはならない存在なのである。しかし、ホセアはヤハウェを自然界のものに当てはめ、表象化をあえて行う。こうしたホセアの姿勢から言えることは、日本の宣教にあたっては、日本の宗教、文化、風土への関心と学びを持続させる必要があるということである。>(「聖書学と日本」~『基督教論集』第52号)

 

 

 

 

 

「永遠の命、それは唯一の真の神であるあなたと、あなたが遣わされたイエス・キリストとを知るようになることです。」(ヨハネによる福音書 小林稔訳)

 

「それゆえに、あなたがたは互いを受け容れなさい。ちょうどキリストもまた、神の栄光のために、あなたがたを受け容れて下さったように。」(ローマ人への手紙15:7青野太潮訳)

 

「あなたがたはキリストのものであり、キリストは神のものなのである。」(コリント人への第一の手紙3:23 青野太潮訳)

 

キリストの頭は神であるということを、あなたがたに知っていてほしい。」(同上 11:3 同訳)

 

「すべてのものがキリストに従わせられる時、その時には御子自身もまた、すべてのものをキリストに従わせた方に従わせられるであろう。それは、神がすべてのものにおいてすべてとなるためである。」(同上、15:28 同訳)

 

<パウロにおいて、キリストは神に従属するという神中心主義が強固に横たわっている>(青野太潮著『「十字架の神学」の展開』p5)

 

「一コリント一五章においては、キリストの支配がはっきりと神の主権の前で限定されたものとなっている。」(同上書 第一部 5章)

 

「事実、神は唯一人(ただひとり)、神と人間との仲介者も人間キリスト・イエス唯一人。」(テモテへの第一の手紙2:5 保坂高殿訳)

 

 イエス・キリストの人格についての問に対する答は「神」とか「人」とかと答うべきではなく、ただ「神の子」と答うるのが聖書に基づく答であります。「神の子」は先在においても、受肉しても、死して甦って昇天しても、常に「神の子」と呼ばれて充分でありまして、それが聖書の語るイエス・キリストなのであります。>(小田切信男著『キリストは神か(聖書のイエス・キリスト)- 北森嘉蔵教授との討議を兼ねて- 』〔待晨堂書店〕p15)

 

<キリスト・イエスはいかなる意味においても自らを「神」として物語り且つ示しはしなかったのであります。たとえ神にひとしいとまで語られても、神への従属的地位を外す事がなかったのであります。>(小田切信男著『福音論争とキリスト論』p145)

 

「万物がキリストに帰一して、然る後に神に帰一することが、救済の完成でありますから、キリストの業の終る所がある訳であります。そこにキリストの仲保者性の限界があると言えるでありましょう。」

(同上、p215)

 

<神学と呼ばれる世界の言葉の遊戯は「イエス・キリストのみが――全知なる神である」となって「父なる神」を見失ってしまっております。これは大変なことだと思います。>(同上、p263)

 

神はやはり唯一の神――父なる神――であっても子なる神とも、また純粋の霊だけの神とも語られません。要するに三位一体論そのものが、神を客観的にあげつらう論理として既に思い上った論理であります。そしてこれは、イエスも使徒も語らなかった神観であり、明らかに異教化したものと言えましょう。キリスト教界はこの三一神観という信条・教理についても福音の光で検討を加え、多神化しようとするキリスト教の異教化を徹底的に排除すべきではありますまいか。>(同上、p366)